・・・練習会へお越しください・・・
平井稔先生の合気道を継承することを念頭において、日々稽古に励む遊悠塾です。
正しい合気道を目指し、頑張りましょう。
是非、稽古をご覧ください。
1.稽古場所:
???東京都中央区 区立浜町公園内 総合スポーツセンター 地下2階武道場です。
アクセス
??都営新宿線 浜町駅下車 地上すぐ
??半蔵門線 水天宮前駅下車 徒歩10分
??日比谷線 人形町駅下車 徒歩8分
2.練習日時: 毎週土曜日の9時〜12時半です。
3.会場:
??"総合スポーツセンター"・・・ジム・弓道場も併設され、各種演武会も見学できます。
4.見学・体験参加:(体験無料)
???見学
???随時可能(練習の有無を確認してからお越しください)
???吉野:090-4079-0699
???体験参加
???練習に十分納得の上で入会ください。服装:運動着。道着があればご持参ください。
5.入会・費用:
??a. 稽古代・・・1,000円/回
??b. 年会費・・・3,000円/年
??c. 入会金・・・なし
※青少年・社会人・女性・高齢者にも無理なくでき、日常生活の健康や護身術に役立つ武道です。
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合気道の名称および内容は、大日本武徳会によって昭和一七年に制定された。
大日本武徳会は明治二十八年四月に日本古来の武道の推奨を目的とし、公共の全国組織として京都で発足した。
大日本武徳会は柔道、剣道、弓道、各種武道などの部門に分かれて活動し、学校教育をはじめ、社会全般の武道の普及と温存のめざましい成果を上げていた。
しかし、昭和になって各部門の専門化とスポーツ化の発展により、日本の古来の武道の特徴である体術、剣術などを同時に使える日本古来の総合武道体系の消滅が危惧されることになった。
武道の専門家や研究者の間で新しい武道部門の制定の声があがり、大日本武徳会では、柔道部門と剣道部門が協力して新部門の編成にとりかかった。
大日本武徳会は、総裁、理事など総合的な役職の下に、各部門の責任者として幹事を任命していたが、新しい部門の中心幹事に平井稔氏を指名した。
当時、平井稔氏は柔道部門に所属し、柔道達士の称号を持ち、各種武道称号審査員、陸軍憲兵学校教官、大日本武徳会の東京支部長などの職責にあっ
た。また、武道の分野では、大日本武徳会本部の剣道教授・奥村二刀流の奥村寅吉門下で剣を得意とし、竹内流、起倒流、力信流など古式の体術、剣術、杖、
槍、手裏剣等も修練して、既に自らの道場を持って総合的な武道体系を編成していた。
大日本武徳会では、平井稔氏を中心に実戦的総合武道としての合気道部門の組織作りと武道体系の編成に入り、練習の方法として、無手の体捌き、体術、剣術、杖術の方法および武道で最も重要な体の捌きなどを制定し、各県庁所在地にある総合武道場である武徳殿を中心に講演会を開催し
た。
大日本武徳会では戦後、平井稔氏の功績に対して範士の称号を授与した。
合気道における範士の称号所有者は、戦前戦後を通じて平井稔範士がただひとりである。
大日本武徳会は昭和二十一年十月、米国占領軍の指令で解散した。
合気道に限らず剣道、柔道などすべての武道は占領軍に制約され、武道の真空時代になった。
知名度の低かった合気道については、その後、大日本武徳会以外の流派で合気道の名称を使うところも増え、合気道の名称が広まることになった。
大日本武徳会の剣道は、一般に大日本武徳会流剣道といわれ、柔道においても同様であり、合気道においても同様である。
合気道・道場光輪洞はその武道の系譜を継ぐものであり、当時の合気道関係者と平井範士門下でつくる各地の光輪洞が集合して日本光輪会を編成している。
平井先生が意図した大日本武徳会合気道は、体術、剣術、杖術、槍術、居合を自由に使いこなせる"諸武術の母体"としての実践的総合武道です。そのために、「体捌き」「円転無窮」と「和合」を武術に取り入れました。
この「体捌き」を会得すると体術、剣術、杖術、槍術を自由に使えるようになります。光輪洞合気道が"母体武道"と言われる所以であり、ほかの合気道には無い特徴であり、根本の極意なのです。合気道・日本光輪会の遊悠塾は平井稔先生の合気道を継承しており、日々稽古に励んでおります。
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